3階からダイブ編1

あの頃

3・4年前の9月の事の話。その年は夏に自転車で川岸のサイクリングロードを爆走して通勤していた。朝の日差しの強い川岸を日焼けをしながら思い切り爆走するのが快適だった。しかし、帰りが困難だった。呑んでから帰るからである。夏とはいえ帰る頃はもう真っ暗。川岸を微かな灯りを頼りに走るのが困難だった。だが、街中の車道を走るのはもっと危険だった。酔っ払い運転で車道でふらつき蛇行し転ぶからだ。実際、覚えているだけで3回ほど車道で派手に転んだ。いつ死んでもおかしくない状態だった。
そこで、前から泊まっている職場に前にも増して泊まるようになる。最初は裏口を開けてもらいリハビリ室に泊まったのだが、もうこの頃は3階の窓から忍び込んでいた。隣の他社のビルの屋上が我が病院の3階の窓から2.5m下の所にある。その隣のビルの屋上だが外から階段で行けるのだ!まさしく忍び込んでと言っているのだ。挑戦状を叩き付けられていた。まず隣の屋上へ外から階段で登り、そして我が病院側の柵を乗り越える。我が病院の壁の足がかかる位置に水道管があり水道管に片足をかけ反動をつけヨイショと上にあと80cm伸び上がると3階の洗面所の窓に手が引っ掛かるのだ。そして、懸垂の要領で体を持ち上げ忍び込んでいた。落ちない自信があった。たとえ滑っても助かるシュミレーションがもう出来ていた。
 

ついに

人間の記憶とはそれほど確かでは無い事が多い。他人から聞いた時等の思いや創造や夢が記憶と入り交じるからだ。酒が入るとその不確かはます。これからの話はたぶんホントだ。大体ホントだ。
3・4年前の9月のある日【魚河岸料理―K―】で職場の人達と呑んでいた。先輩に奢ってもらっていた。そして皆が帰っても一人呑んでいた。そして、潰れた。従業員兼そこの家族にしばらくして起されたのは覚えている。そしてへべれけで小雨の中を帰宅!しかし、我が帰省本能はたまに帰っている我が病院へ足を進めた。もしかしたら自己判断で職場に向わしたのかもしれない。
その時は年に1・2回の気心がしれたKさんが事務当直の日。Kさんは3つ上の年が近くよく一緒に呑んだりしていた。だから、入れてと泊めてと言っていたらあんな事は起きなかっただろう。しかし、意識が途切れかかっている私にとってそんな頭は無い判断力は無いリハビリ室の安らぎが頭にあるだけ。どうにか隣のビルの階段を登り屋上に侵入。そこから柵を乗り越え水道管に足を掛け3階の窓に飛び上がる!その時に何かがあった。雨で足場が滑ったのか?手が窓に引っ掛からなかったのだろうか?たぶん両方だったのだろう。後に3階の洗面所のモップが窓の下に落ちていたのから推測するに、窓の枠と間違えてモップを掴みその弾みに足を滑らした。しまったと思った。しかし、へべれけの体と濡れた出っ張りに手が掛かるわけも無く我が体は落ちていった。
激しいショックが体を走る。痛みが走る。ショックで息が出来ない。左手と左足が何かの頂上に引っ掛かった。これは離してはいけないと思って左手と左足に必死に力をいれる。周りは暗い!真っ暗だ!!これは大変な事になっていると感じていた。左手と左足は離してはいけないとまだ必死だが、痺れと疲れが手足を襲う。イチかバチか落ちてみようと思う。これがブロック塀のような気がする。そして、また落ちたのだった。
地面に落ちた所で気を失う。ホッとしたのかショックだかはわからない。
 
まだまだ明日に続くのでお楽しみに。